5歳でピアノを初め、音楽好きの父親に影響を受けアメリカのヒットチャートと共に育つ。小学校時代はCCRの「雨を見たかい」が登校前のBGM。その後ブームだったフュージョンや、Stevie Wonderをきっかけにsoul musicなどをあれこれと聞き、キーボードやバンドのアレンジに手を染める。
ジャズ、という音楽を知りたくて大学時代には早稲田大学のニューオリンズジャズクラブに所属。ジャズの入り口 が「ニューオリンズトラディショナルジャズ」だった。当時は手に入りにくかったLPレコードや、アマチュアながら 頑固にトラディショナルスタイルを追いかけ続ける多くのミュージシャンに出会い、Jazzの深さ、底抜けな明るさと逃れられない根源的な悲しみが不思議に同居するニューオリンズのサウンドに惹かれてゆく。
ニューオリンズって???がますます高じてニューオリンズジャズクラブ卒業と同時にニューオリンズへ。以来、 音楽と人の暮らしが溶け合って時間が進むこの土地が「第2の故郷」となる。年間1〜2カ月、長いときは半年以上 をニューオリンズで過ごし、Dirty Dozen、Rebirthなどのブラスバンド、Kermit Ruffin、Leroy Jones、Bob French Original Tuxedo Jazz Band、プリザベーショホールジャズバンドなどと共演、"ジャズアンドヘリテイジフェスティバ " にも出演。 副業では日本人観光客のガイド、なんていうのも。 |